ファミ通で記事になっていた「なぜ日本製のゲームは以前より北米で苦戦するようになったのか?」ですが、個人的な意見を書こうと思います。具体的な数字を細かく調べた訳でもなく、15年ぐらい前から洋ゲーを触っていた個人的な感覚で書くので正しいかは分かりません。
日本のゲームが北米に苦戦する最初の分岐点となったのは1998年11月にValveから発売されたHalf-LifeのMOD「Counter-Strike」だと個人的には考えている。このゲームはHalf-Lifeを、ユーザーが勝手に改造して作ったゲームで、当初はValveがこう言った行為を毛嫌いしていた。Valveの他にもこう言ったゲームを改造して遊ぶとうことは、当時好ましく思うメーカーは1つもなかった。
しかしこのCounter-Strikeが大ヒットし、Counter-Strikeをやりたいが為に、しかたなくHalf-Lifeを購入するユーザーが続出するのである。しかたなくと言ってもHalf-Life自体も神ゲーに近いゲームだったけど・・さすがこんな大ヒットして売り上げに多大な貢献をしてしまったMODを非難するとこは出来ず、開発を支援するようになり2000年にはValveが権利を買って公式ゲームとしてリリースするまでに至る。
Half-Lifeでは他にもDay Of Defeat、Natural Selectionなどを筆頭に多数のMODゲームを生み出した!
それを目の当たりしたEpicは1999年に発売した「Unreal Tournament(UT)」ではUTを作ったUnreal Editor(Unrealエンジン)をゲームに無償で付けて、ユーザーがゲームを改造することに積極的に協力し出す。今まで好ましく思っていなかった行為に積極的に協力しだすのである。
こうしてプロが使うエンジンを無償でユーザーに開放したことによって、開発するユーザーが増え始める。するとどうなるか、今までゲームを作ることが非常に複雑で困難だったのが、プロが使うツールを使うことによって、大幅に改善されたのである。プログラム未経験の人でもそのゲーム用のマップを作ったりすることが出来、ゲーム開発に携わる分母が大幅に増えたのである。
こうした事情のおかげで、海外でのゲーム作成は飛躍的に進歩していくことになる。さらにインターネットの普及で情報交換なども効率的に行なわれ、ゲーム開発に関われる敷居が海外ではどんどん下がっていった。
一方日本では、そんなことはつゆ知らず、各メーカーが社内で独自に作ったエンジンを使ってゲームを作っていた。しかもエンジンはゲームごとにゼロから作りなおしたり非常に非効率なゲーム作成をしていたのである。それでもまだPS1やPS2などの時代ではギリギリ海外のゲームより優れたコンテンツを生み出していた。
日本では日本のメーカーが作ったコンシューマ機があるがため、PCゲームがまったくと言っていいほど作られなかったので、ゲームを改造して遊ぶなどそう言った文化が根付かず、そのままコンシューマ機で遊ぶことが定着していた。
2006年に発売されたPS3では性能の大幅な向上から、日本の今までの非効率なゲーム作りでは、本体の性能をフルに発揮するのが難しくなって来るのに加えて、大作などは数百人、数千人規模でないと開発が困難になってきた。
こうした中、海外では着々とメーカーはエンジンを、ユーザーは開発スキルと開発者の分母が大幅に増えていた。Unrealエンジンなどの海外エンジンは日本の大手メーカで採用されたり。ユーザーは学生時代から慣れ親しんだエンジンを使用することによって、即戦力として使われゲーム開発のスピードと質が大幅に向上していた。
こうした事情が現在のゲーム事情に反映されているのだと思う。エンジンのオープン化と開発者の分母の数が圧倒的に違うのが、今のゲームにちょくに反映されているのだと思う。上位の方ではまだまだ日本のゲームも入ってくるが、インディーズゲームは北米ゲームの方が圧倒的に質が良いゲームを大量に生み出している。
>> なぜ日本製のゲームは以前より北米で苦戦するようになったのか? アメリカの開発者たちが考えたその理由、そして重要な概念“リレイタブル”とは【CEDEC 2013】 - ファミ通.com