E.T. the Extra-Terrestrial(以下 E.T.)と言うゲームをご存知だろうか、このゲームはファミコンが登場する以前に大人気を誇っていたハード「Atari 2600」で発売されたゲームである。なぜこのゲームがゲーム史に残るクソゲーになってしまったのか? 実はそこには隠された数々の大人の事情があった・・・
開発秘話
E.T.が北米で発売されたのは1982年12月のクリスマスシーズン。ライセンスなどの交渉が同年6月に開始、制作が始まったのは同年7月下旬でクリスマスシーズンまでに店頭に商品を並ばせる為に同年9月1日までに完成させなければならず、開発期間は僅か5週間と非常に短い期間となってしまった。
当時のゲーム開発は基本的に1人または2、3人で行なっており、開発期間は数ヶ月〜半年程と今と比べると規模も期間も短いですが、それでも5週間は短すぎた。
開発は名作として評価されたゲーム「Yars' Revenge」や、インディー・ジョーンズで有名な「レイダース/失われたアーク」をゲーム化して高い評価を受けた、ハワード・スコット・ウォーショウがスピルバーグからの直々のご指名で担当することになる。当初スピルバーグはハワードに当時爆発的人気で社会現象になっていたパックマンに似たゲームを提案していたが、ハワードはよりストーリー性のあるゲームの方が良いと考え、スピルバーグの提案ではなく自分のコンセプト案で開発をスタートさせました。
販売
クリスマスシーズンとゲーム市場が好調だった為、150万本のミリオンセールを叩き出し好調な売り上げを記録するが、実は500万本生産しており、350万本の在庫を抱える事態に陥る。ちなみに150万本はAtari 2600で歴代8位の売り上げを誇る販売本数である。高額な2000〜2500万ドルのライセンス料と350万本の過剰在庫でAtari社に大きな損失を与えた。350万本の在庫については埋立地に埋められたと言う都市伝説が語り継がれているが真意は今だに不明のままである。
この後、Atari社の経営はどんどん下降していきアタリショックと呼ばれる事態が引き起こされる。
当時のTVコマーシャル
ゲームプレイ
プレイヤーはETとなり3つの部品を探し出し、その3つの部品で通信装置を作り地球から脱出するアドベンチャーゲームです。アイテム探しの途中に科学者やFBIなどのがETを捕まえようと襲い掛かってくる。グラフィックなどはファミコン世代の人が見てもなんだこりゃって感じのグラフィックですが、当時はこれぐらいのレベルのゲームばかりでした。
ゲームプレイ動画
評価
様々なサイトでクソゲーとしてNo.1に輝いているが、実は当時のプレイヤーに聞くとクソゲーとしての評価は低く、別のゲームを口にする人が多いと聞く。開発したハワード本人も、それなりのゲームに出来ていると言っており、短い期間ではあったが満足いくものが出来たと語っている。
まとめ
5週間と短い期間で制作された物にしては良く出来ているし、これより酷いクソゲーは多数存在した。実際に150万本とミリオンヒットを達成している。大成功の部類に入るゲームである。しかしE.T.と言うネームバリューだけで500万本生産してしまい、350万本の在庫を抱え、会社を傾けさせ、そのまま立ち上がることもなく倒れてしまった、そんなゲームプレイとは無関係な無能な経営陣のおかげで起きたアタリショックの引き金とされ、挙句の果てには会社を潰したゲームとして、クソゲーのレッテルが貼られたのがことの真相だと思う。
E.T.と言うネームバリュー、5週間と言う短い製作期間、350万本の在庫、会社が傾く、アタリショックなど、飛びつきやすい単語のオンパレードでクソゲーと評され、実際は未プレイで評価している人が多数などではかと思われる。実際にハワードはこのレッテルについて最悪のゲームとして知られるのは悪くないと言っており、名作と評される「Yars' Revenge」とクソゲーと評される「E.T. the Extra-Terrestrial」に携われたことに誇りすらもっている。